紺屋の白袴について 日本のことわざ
『◇紺屋の白袴(こうやのしろばかま) (日本のことわざ)
布をもっぱら紺色に染めている者の袴が、白袴であることから、「忙しくて、自分のことには手が回っていないさま」あるいは「いつでもできることを放置しているさま」を示している。類似した言葉として、「医者の不養生」、「儒者の不身持ち」、「坊主の不信心」など多数ある。
自分のことが目に入っていない様子を皮肉っている言葉ではあるが、「紺屋の白袴」に関しては、「染物を生業としているにもかかわらず、自分のはいている白袴を少しも汚していない」という職人芸を評しているという見方もできる。』
「医者の不養生」の方が、身近に感じるフレーズなのかも知れませんね。
「忙しくて、自分のことには手が回っていないさま」を表現していると説明されています。
また、「いつでもできることを放置しているさま」とも言われます。
でも、別の見方もあるとの説明には、思わず「なるほど」と呟いてしまいました。
それは、「染物を生業としているにもかかわらず、自分のはいている白袴を少しも汚していない」という職人芸を評しているという説明です。
どちらが、正解なのかは分かりませんが、誰がどの様に、この言い回しを使い始めたかによって、受け取り方も変わってくるのは当然だと思います。
人間は、自分の最優先でする必要があることを後回しにする傾向があります。
一昔前は、「大工の家は完成しない」などと、聞いたことがありました。
知り合いの大工さんに聞くと、どこかに思い当たるコトがあるのか、苦笑しながら、「わかる」と言っていました。
「医者の不養生」と来れば、患者の事は一生懸命なのに、自分自身の健康にはかまわなくて、病気になってしまうなどという流れです。
何をもって、よいお医者さんと評価するのか? 様々な考え方がありますね。
自分の健康を維持しながら、患者に適確に対応できるのが理屈の上ではベストなのでしょうけれど、現実的には、どちらかをとるしかないのでしょうか?
自分自身、優先順位の確認をしておく必要がありますね。
自分の事、パートナーのこと、家族のことなどの番付です。
自分の事の中でも、健康のこと、経済的なこと、平安で居られるために必要なコトなどの優先順を確認しておくのを習慣化しています。
これには、何かをするというリストと、しないことリストというものを併存しておくようにしています。
これを並べると、何かをしないこと、何かを断ることの方が、結構ストレスがかかるという経験をしています。
健全な自分ファーストから、社会貢献できる自分の基礎を盤石にしていきたいと考えています。
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