何をどこまで追い求めるか? 箴言11:19
『実に、義を追い求める者はいのちに至り、悪を追い求める者は死に至る。(箴言11:19新改訳2017)』
人生で何を追い求めるのかという課題ですね。
「義といのち」「悪と死」がセットになって紹介されています。
義という漢字は、「羊」の下に「我」と表現されています。この発想は、旧契約時代に、「自分の罪を犠牲の羊に背負わせて殺す」という行為を表したと言われています。
この犠牲の羊の本体は、メシアであるイエス・キリストであり、約2000年前に十字架に架かり、全人類の罪科を背負って、唯一無二の犠牲の羊となり、葬られ、三日目に復活したことで、罪科の支払いは完了したのです。
創造主である神は、人間との契約を履行するために、「義」をしめされたのです。
これを信じる信仰者が、「無罪とされ、神の子(養子)とされ、永遠のいのち」を与えられるのです。
まさに、創造主である神が、いのちの源なのですね。
「罪」「悪」の状態とは、その「いのちの源」に対して、「故意に背を向けて生き続けること」と表現すれば分かりやすいでしょう。
生きることを選択するならば、「いのちの源」向かうのが自然な流れではないでしょうか?
もし、「いのちの源」に背を向けるならば、どこに向かうことになるのでしょうね。
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