見守る存在を意識する生き方 箴言24:12
『12 あなたが「そのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それをご存じないだろうか。人の行いに応じて、報いをされないだろうか。 箴言24:12新改訳2017』
人間が行ったことは、誰も見ていない事もあります。また、自分自身でも忘れてしまうこともあります。
また、それをしようとした「動機」は、自分が覚えている限りでも、誰にも言えないこともありませんか?
「すべてお見通しです。」と言われたら、ドキッとする人が多いことでしょうね。
それほど、人間は、自分を隠して、いや隠れて生活しているというのが現状でしょう。
「何か言われるのではないか?」と考えると、余計に隠れてやりたくなります。
でも、「応援するよ」「がんばったね」という反応であれば、どうでしょうか?
これならば、批判する人がいても、隠れてやっていたダンスも、もっと見て欲しいと思うかも知れません。
この差は大きいですね。
親子関係でも、親は子どもが心配ですから、知りたがります。でも、子どもは何か言われないかドキドキしているので、隠そうとするという心理が働くのですね。
もう少し、遡る必要があります。
それは、人間に魂を授けた御方、創造主である神【主】のイメージです。
この箴言では、「人の心を評価する方」と記されていますが、すべてをお見通しです。
また、「あなたのたましいを見守る方」とも記されています。「それをご存じ」なのです。
この感じ方は、大切です。
裁判官なのか? 保護者なのか? その差は、天と地の開き、そして、永遠の差を生みます。
聖書に記されている創造主である神【主】は、人間にたましいを授けた御方です。そして、保護者でもあります。さらには、裁判官でもあります。
すべてお見通しなのは、保護をする為なのです。そして、「義と愛」で永遠の幸福へと歩める備えをして下さいました。
それでも、それを拒否する人には、「人の行いに応じて、報いを」される裁判官でもあるのです。
大切なのは、見守り、保護、猶予があり、そして、裁きの時が来るというイメージです。
これが、分からなかったときは、「コワいイメージ」でしたが、保護されていると考えることができるようになると、それを有難いと感謝できるようになりました。
肉眼では見えませんが、創造主である神【主】は、不思議な存在です。
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