レベチな才能が溢れる時代
超絶技巧は、雲の上のイメージでした。
近年、動画投稿サイトが充実して、その中に、溢れる才能の多さにビックリしています。
また、最近の流行歌は、難曲が非常に多く、それを演奏したり、歌唱したりしているアーティストも超絶技巧を駆使しています。
それに、挑戦する人もいるようで、動画のSNS界隈は、チャレンジャーに溢れかえっています。その中にも、本家越えをする人もチラホラいます。
そもそも、芸術は表現の一つの手段です。
音楽に至っては、音を楽しむという漢字が当てられています。
その中で、本当に楽しんでいる人もいます。その演奏は、演者も聴衆も楽しんでいるケースと演者だけ悦に入っているケースがあるように感じます。
楽しむのなら、演者も聴衆も楽しい方がよいと思います。
一方、音が苦しんでいるパターンもあります。
あらゆる演者の苦しみがあふれ出してくるように聞こえるのです。
もちろん、聞くか聞かないかは、聴衆の選択ですから、聞かなきゃよいわけです。
世の中には、色々な人がいて、多様性が成り立っているので、個性を否定する気はありません。
でも、多くの人が共感するのは、「エンジョイ」しているパフォーマンスなのだと考えています。
エンターテインメントは、その芸術を指示する人がどれ程存在するのかで、スケールが決まるという要素もあります。
ニーズに合わせて、ターゲットを設定していくのもよいです。
また、コアな芸術は、自分で秘かに楽しむ選択もアリという事だと理解しています。
人間は、芸術家ではなくても、何らかの波動を発信し、また、受診しています。
それが、合えば共感を生み出し、それが行き違えば、縁を感じないと言う事ですよね。
無意識の波動は、自分本来のものなのでしょうけれど、できるだけ意識化して、自分らしさという波動を意識的に出していきたいと考えています。
自分の音色とは、どのようなものなのでしょうね。
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