道楽は、修行なのかも? 探求
悠々自適の生活をしている人を羨ましく感じませんか?
陶芸などの造形と日々向き合い、没頭している人などは、楽しいという段階をとっくに越えているのかも知れません。
多趣味な人もいますし、自分には趣味がないと考えている人もいます。
人生の過ごし方は、それぞれの選択の自由ですから、他人からとやかく言われることではありません。
自分で、経営をしているオーナーさんは、「毎日、遊んでいる」と表現されることがあります。
それは、仕事が基本的に順調な傾向があり、余力で、さまざまなチャレンジをしているという意味のようです。
「道楽」とは、字だけを見ると「道を楽しむ」と言うことです。
実用日本語表現辞典では、「「道楽」とは、本業以外の道に熱中して楽しむことを意味する表現である。」と記しています。
また、「(本業でない)好きな事にふけること。そういう好み。「食い―」。特に、ばくち・酒色などにふけること。放蕩(ほうとう)。」という説明をしている辞書もあります。
さながら、「コーヒー道楽」という人たちもいる時代ですね。
嗜好品から贅沢品まで、奥深い沼のようなイメージもあります。
これは、依存的体質とも関連しています。
自分の楽しみの範囲での道楽と、それを越えたハマり込む症状は危険でもあります。
ただし、理想だと感じるのは、経済的にも、人間関係にも、縛られない、自分自身が楽しめる何かを持っている人は、幸せだと思います。
「プロボノ」などという分野があります。プロの能力を生かすボランティアです。こればかりをしていれば経済的に成り立たないわけです。でも、両立できるのであれば、お金が払えない人にも、その能力を分け与えることがデキルのです。
経営者からの評価は、「道楽(金にならないことで)」やってないで、商売をするように求められるでしょうね。
自分のマネジメントの中で、自分の選択で、「道楽」の活動をするのも悪くありませんね。
それは、自分で決めて、それを楽しむ世界です。
お金にならない人助けをする時に、このマインドは大切だと考えています。
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