創造主である神の愛の啓示 ヨハネ14:6 使徒4:12
『イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6新共同訳)』
『ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒4:12新共同訳)』
「この道だけ!」と言われると、閉塞感を感じてしまいますね。
でも、罪からの救いについては、これが基本なのです。これしかないのです。
神の正義は、キッチリしています。
それに伴って、神の誠意も完璧です。
多神教の環境に住む人には、非常に理解しにくいイメージかも知れません。
そもそも、イスラエルの民でも、出エジプトをしてから、モーセがシナイ山で律法授与をしている最中に、見える偶像である金の子牛をつくった事件がありました。
人間の中にある不安が、そのようにさせるのですね。
そして、その不安の根元には、自分には為す術がない「罪」が横たわっているのです。
その「罪」を解決する道筋の話しです。
これは、全人類に誰一人、もれることなく提供されています。
そして、何の代価も求められていません。
創造主である神の恵みによって提供され、信仰によってのみ受け取る事ができるのが「救い」です。
何から救われる必要があるのでしょうか?
それは、「罪とその先にある死」からの救いです。
人間は、「不安」を感じるのは「罪」、その影に「死」が潜んでいるのが、とても恐怖なのです。
「罪」を解決しないと、「死の恐れ」による奴隷状態が永続するのです。
「罪」の問題を解決しても、肉体的生命に生かされている間は、「罪」が切り離される訳ではありません。
でも、信仰によって、義とされていると、肉体的生命を閉じるときには、「無罪」とされ、永遠の幸福へと召し上げられるのです。
この問題は、全人類、それぞれの自由意思に委ねられています。
それぞれの自由意思で、肉体的生命に生かされている間、自分の自由意思が発揮できる間に決断をすればよいのですね。
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