手放してみてわかること 手放す体験は貴重
手放すことは、心情的な苦痛が伴うことがあります。
あきらかに不要なモノなのに、心理的な抵抗で、手放すことができないケースがあるのです。
「まだ、何かに使える(かも知れない)」
「もったいない!!」
という「今は亡き人の声」が心に響くのだそうです。
そうでなくても、学生時代の教科書を数十年も残しておくケースも多くありますから、何かの心理的な抵抗が関係しているのでしょうね。
全部ではなくても、その一部でも手放してみると、その空間が解放された光景と共に、心の一部が軽くなるようなイメージを私自身感じたコトがあります。
私は、自分のモノだけではない片付けの現場をいくつも体験していますが、関係性が希薄な方が、客観的にお手伝いできる印象もあります。
関係性が濃くなると、客観性を欠き、感情的になることもあるので、片付けのメンバーの人選も大切な要素だと思います。
皆さん、共通してお困りなのは、故人の信仰していた宗教に関する本やモノです。
それらをゴミに出すのは抵抗があるようで、引き取りを依頼されることもあります。
さて、自分自身の片付けに話を戻します。
今の自分に必要不可欠なモノを選び出す感覚が大切なようです。
それまで当たり前だった環境を手放すことと言った方が分かりやすいですね。
でも、それは、お金の使い道と同じような要素で、自分に与えられているスペースの使い道も自由自在すぎて、どうしたらよいのか分からなくて混乱に陥るのでしょう。
限られたスペースを有効に使うという試行錯誤の旅のはじまりです。
その旅に、何を連れて行くかと言う発想で、マインドを切り替えていこうという考え方で進めていきたいですね。
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