人生は出会い 亀井勝一郎
『青春時代とは第二の誕生日である。自我の覚醒する日でもあるが、そのとき「われ」を誕生せしむる機縁がすなわち邂逅(かいこう)である。書物でもいい。師匠でも友人でも恋人でもいい。だれに出会ったかということが重大だ。亀井勝一郎『現代人生論』(青春出版社)』
人生は誰か?や何か?に出会う旅路なのですね。
その出会いを通じて、人生の喜怒哀楽を積み重ねていくのです。
それは、人と出会うことは基本ですが、それ以外にもあると、このフレーズは、語っています。
それは、書物です。
今は、インターネットの動画やSNSの影響が大きい時代で、情報や人との繋がりにも大きな変化を感じます。
どれが一番良いのかという正解はありませんので、それぞれが、可能な手段で探求することが求められます。
私は、自分にとって興味が持てるものが見つかるところから、乱読が良いのではないかと考えています。
書物とは、関わりの度合いが変わってきます。それは、趣味趣向を考えると当然です。
でも、とにかく触れ続けることが、つまり、それが、出会いです。
とくに、小説や伝記、ドキュメンタリーは、自分以外の人生を知るために有用です。
人間は、好奇心旺盛な部分もあって、他人の人生には、興味を持つのです。
「他人の不幸は蜜の味」などというのも、そのような感情を表現したものでしょうね。
書物との出会いは、故人との師弟関係も可能にします。
人生の先輩方で、自分が師匠にしたいと思う人がいて、その人と師弟関係が成立するのも良い話です。
でも、それが難しくても、自分の心に理想の師匠を据えることは可能なのですね。
友人や恋人は、人生の彩りを加える貴重な存在です。
より良い出会いのための心構えも大切でしょう。
それは、付き合い方の距離感、お互いが許容できる範囲などです。
「私は大丈夫」「あなたも大丈夫」という重なり合う範囲を明確にしていく必要がありますね。
時には、良くないと思える出会いがありますが、同じようなことは、そう無いと信じたいです。よりより出会いをリアルや書物に期待したいですね。
亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年〈明治40年〉2月6日 – 1966年〈昭和41年〉11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本芸術院会員[1]。
当初は左翼的政治運動に参加したが転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論や文明批評で活躍した[1]。「日本浪曼派」を創刊。著書に『大和古寺風物誌』(1943年)、『現代史の課題』(1957年)など。
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