沈黙 映画でも話題ですが・・・。
願い事をする祈りが習慣になっている時に、その願いが実現しなかったなら、祈っている当人にとって「神が沈黙している」と感じてしまうかも知れませんね。
神の声は、細い声といわれていて、静止の時にようやく聞こえるのでしょう。
祈りは、神の御前に静まる時ととらえると、神の細い声を聴く体制は出来ていると言うことになりますね。
それでも、神の声は聞こえないということも多いのですね。
その状態のことを、人の立場からは「神の沈黙」と考えてしまいます。
神の立場からは、「黙して、あなたの想いを共有し寄り添っていた」ということかもしれませんね。
世の終わりまで共にいてくださる神(インマヌエル)
その約束が忠実に果たされるのであれば、常に共にいて想いを共有してくださっていると考えると、マインドが180度変わるのではないでしょうか?
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