札束を積み上げても生活のニーズは満たされない
昔、ハッカの栽培で、巨万の富を得た人がいた北海道の北見市に伝わるお話です。
「暗くなった下駄箱の明かり取りに、お札に火をつけていた」というのです。
それほど、儲かった時代があったのですね。
まるで、たき付けにする新聞などのようにお札を扱っていたのです。
冬が厳しい北海道では、赴任手当として、灯油手当てが支給されると聞いたことがあります。
ですから、暖をとるためには、目の前に札束があっても、それを燃やさない限りは暖かくならないのですね。
むしろ、そのお金で、もっと暖をとるために効率の良い燃料を買い求めた方が、賢明というコトなのです。
いくら口座にお金があるといっても、ブルブル震えていたのでは、もったいない話です。
より快適な生活にするために、適度な環境にリフォームをしていくことなども、必要な時がありますね。
価値の転換が、ニーズに沿って進むと、気持ちにもユトリが生まれてきますね。
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