自己受容がまず一歩目
はじめの一歩が大切ですね。
それは、まず、今の自分を信じて、自分で受け入れることですね。
それが、理想の自分でなかったとしても、もう一人の自分をも含めて受け入れることなのですね。
これがナカナカ難しいと感じる人が多いのですが、自己一致ともいいますね。
さらに、信仰の適用です。
人は皆、次の記述のように宴会に招かれているのです。
ただし、その宴会に出るためには、備え付けられた「婚礼の礼服」を着る必要があるのですね。
自己一致の次は、信仰の選択で、用意された「婚礼の礼服」を着るか着ないかなのですね。
意地を張って、「婚礼の礼服」を着ないと、退席をしなければなりません。
何れにしても、自由意志で選択できるのですね。
『イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。
「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。
王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった。
それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。王は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。』しもべたちは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」マタイ22:1-14新改訳2017』
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません