人が生きるための言葉

『ヒトが生きるための言葉は、逡巡(しゅんじゅん)しているとき、沈黙しているときに生まれる(佐々木幹郎)』【随想「詩のいま 言葉のいま」(「望星」10月号)】

言葉の重みという視点で考えてみると、口数の多い人よりも寡黙な人がたまに発する一言にハッと気づきを感じるコトがあります。

筆者は、言葉はその人の中で熟成されて出てくるのだと考えています。

それは、言葉が本来表現する意味を遙かに凌駕して、発する人の色々な想いをのせてくる。

ですから、辞書にのっていない要素も含んでいるように感じるコトが多いですね。

別な表現をすると、言葉は、発する人のエネルギーをのせてくる乗り物なのかも知れませんね。

また、熟成されるとは、葛藤があり、結論を出すまで練り上がっていないケースや、状況を受け止め切れていない、ただ黙する以外に無い時に、ヒトの中で起きている現象なのでしょうね。

「いのちことば」は、ヒトを生き生きとさせる言葉です。

言葉を発するときには、心したいですね。

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Posted by dblacks