対等な関係が長続きする カント

『友情関係は同等関係である。 カント』

「そうりゃそうだ。」という声が聞こえそうです。

哲学者でも人間です。また、批判をしていると、自分の存在さえも批判してしまいがちです。

カントは、「規則正しい散歩をした」というのです。それは、彼にとって、バランスを取るために必要だったのかも知れませんね。

また、その後に「夕方から友人を集めて会食」をしたとも記されています。ここには、論敵も招いたとあるようです。

ここが、冒頭のフレーズの根元なのかも知れないと推察します。

論じることと、喧嘩をして、仲違いをすることは大きな開きがあります。彼の強みは、食事を共にして、対話をすることにあったのではないでしょうか?

そこにも、NGワードがあったようで、「哲学」に関しては、他人が口にすることを嫌悪していたようです。

「同等の関係」という考え方は、非常に大切だと私は考えています。

時には、必要な助けを得たり、その逆もあるのでしょうけれど、どちらが上でも下でもない同等の関係を維持し、発展できるかが大切なのですね。

私には、友情というものが、どういうものを意味するのか理解が進みません。

知人というカテゴリーの中にも、さまざまな距離感がありますので、それを考えていくと、近い距離感の良好なかかわりを友人と呼ぶのが適切なのでしょうか?

親友となるとどういう判断になるのでしょうね。

これは、お互いの温度差があるので、同じくらいの温度感で、付き合いが続く間柄が良いのでしょう。

相手を縛らず、適度な対等関係を見つけて、育んで行きたいですね。

イマヌエル・カント(Immanuel Kant ドイツ語: [ɪˈmaːnu̯eːl ˈkant, -nu̯ɛl -]、当て字は「韓圖」[1]、1724年4月22日 – 1804年2月12日)は、プロイセン(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。
『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。
(中略)
趣味人カントの食卓
規則正しい散歩の後、カントは、夕方から友人を集めて会食した。カントの論敵の一人であるヨハン・ゲオルク・ハーマンは、同時に親しい友人でもあり、しばしばこの食事会の客となった。カントは、ウィットに富む談話を好み、世界の最新情報にも通じ、その話題の広さには会食者も感嘆した。しかし、客が哲学の話題に触れると、露骨に嫌な顔をしたと言われる。
近くにいた人物の回想で、ヤハマン『カントの生涯』[55]に、多くの逸話がある。

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Posted by dblacks