「BEING」「存在する神」 時間を超越している存在

『神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(出3:14新共同訳)』
『あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神 地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく その英知は究めがたい。(イザヤ40:28)』

『とこしえにいます神 地の果てに及ぶすべてのものの造り主』というのは、限りが無い過去から将来に至るまで存在し、すべての創造主でもあるというのですね。

英語の「Being」は、上帝とか神を指す表現で、人間の場合は「being」となるようです。

上の箇所では、肉眼では決して視認できないけれど、『わたしはある』という御方が神であり、存在するのだと、モーセに顕現されたシーンの記述です。

肉体的生命に宿る人には、これを受け入れるか、拒否するか? 保留するか?の選択権があります。

信仰者というのは、『わたしはある』という方を、自分を創造された存在として認める人を指しています。ここが、正に永遠への分水嶺になるのですね。

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Posted by dblacks