生きるために不可欠な水
『 ◆生きた水の流れ
祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37-38新共同訳)』
前述のこの箇所を見ると次のことばが思い出されます。
『「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」(ヨハネ4:14-15新共同訳)』
サマリヤの井戸で出会った女とイエスのやり取りです。
肉体的生命を維持していくためには、水が不可欠です。しかし、その水分が消費されるとまた次の水分が必要になります。
しかし、ここでは、肉体だけではなく、霊的な飢え渇きについて語られている箇所なのです。心がカラカラに渇くという状態です。それを潤すために人はあらゆる手段を探そうとします。その方向性が違うと何らかの依存症的状態に陥ってしまうこともあります。
メシアであるイエス・キリストを通じて与えられる水を得るなら、泉を得ることになり、永遠の命に至る水がわき出ると記されています。心に泉ができると枯れることなく必要な潤いを得ることができるようになるのですね。これは、三位一体の第3位格の聖霊の役割です。信仰を持つと心に内住してくださり、信仰者の一人一人が神の宮として機能するようになるのですね。
ですから、今日も「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」と語られているのです。
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