馬鹿を避けても賢明とは限らない ラ・ロシュフコー
『一つも馬鹿なことをしないで生きている人間は、彼が自分で考えているほど賢明ではない。 ラ・ロシュフコー』
賢明に真面目に生きているつもりでも、周囲からは、どこか間が抜けていると感じられているのでしょうね。
人間は、他社評価に対して非常に敏感だと考えています。
「自分は、人にどのように見られようが関係ない!」と言いながらも、身なりを整えておしゃれをしたり、ファッションにコストをかけたりしますからね。
中には、「自分が気に入った格好をする」という方もいらっしゃいますが、自己評価を上げるために、あるいは、下げないために必要なコトと考えているように感じます。
格好もそうですが、自分の立ち居振る舞いも、他者から悪目立ちしないために抑制をしているのでしょうか。
筆者が大切だと感じているのは、他者から「馬鹿だね。」と言われたとしても、自分の意志で選択することです。
「馬鹿だね。」という評価だけを避けようとすると、身動きさえもとれなくなることも出てくるのではないでしょうか?
あえて、「馬鹿だね。」という評価を引き出す行動は子どもじみています。
しかし、「ウケ」狙いではなく自分の状況に合わせた判断で、適切に行動することを積み重ねる必要が、それぞれの人生には必要のように感じますね。
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