たしなむ程度の距離感
嗜好品というと何を思い浮かべますか?
酒やタバコ、コーヒーや紅茶など、リストアップすると沢山出てくることでしょうね。
また、嗜癖という分類もあります。これは、物質嗜癖(酒、タバコ、乱用薬物に該当する種類の向精神薬など)や行動嗜癖(パチンコなどのギャンブル、ショッピング、日常的暴力、性行為など)があります。
嗜癖は、理性の歯止めがきかず依存的になってしまう人が多くいます。
習慣を超えて、乱用し、依存してしまうことが多発しています。
そもそも、満たされない気持ちから、何かで気持ちを紛らわせようと、嗜癖に走ってしまうようです。
「愛情不足」などを指摘され、大きな要因の一つになっているようですが、解決策はその人なりの腑に落ちる何かが必要です。
多くの人は「心に傷」を抱えています。恵まれたであろう育ち方をした人でもです。
それは、信頼感に関することと言った方がよいのか、自信に直結したことのように考えています。
「愛」というと「大切」というニュアンスがありますが、それ以外に伝わってしまう要素ですね。
「保護」と「支配」に違いがありますよね。
保護者は、養育の段階で、自分ができることをコツコツとしますが、子どもの成長に従って、コントロールがきかなくなっていくことに不安を感じます。
大人に近づいていくのですから、子どもが自分なりの考え方を強めていくことは当然なのですが、それが、保護者を蔑ろにしているように感じられ、寂しく感じて、自分の懐に閉じ込めようとするのが「支配」です。
保護者の最大の役割は、「保護」であり、できることは、自分の経験から得られた「価値観の提示」です。
無意識の反応ですが、「支配」しようとしていると、反発が生まれ対立が生じます。
大人になれば、この支配から抜け出せるかと思いきや、その支配の影響を受け続ける人、または、嗜癖にドップリと浸かってしまう人などが出てきてしまうのですね。
ですから、「チョットだけ」と接したアイテムにドップリ、なんてことになりかねませんね。
人でも、モノでも、たしなむ程度の距離感と頻度が大切だと考えています。
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