隣人としての振る舞い 箴言6:1-3

『1 わが子よ。もし、あなたが隣人のために保証人となり、他人のために誓約をし、
2 自分の口のことばによって、自分が罠にかかり、自分の口のことばによって、捕らえられたなら、
3 わが子よ、そのときにはすぐにこうして、自分を救い出せ。あなたは隣人の手に陥ったのだから。さあ行って、伏して隣人にしつこくせがめ。 箴言6:1-3 新改訳2017』

「保証人になるな!が先祖からの遺言です。」という断り文句を伝承している家系もあります。

保証人になって、破綻するケースも多いようです。ですから、それが自分で負えるのかどうかを慎重に判断する必要があります。

「お金を貸すと縁が切れる」とも、よく聞きます。不思議なコトに、お金を貸さない方が、おつき合いが続くというのです。

人生においては「お金」は必要不可欠ですが、その扱い方によっては、大きな変化があるコトを考えの中に入れておく必要があります。

「良き隣人」でありたいという気持ちが強すぎると、ついついお節介に、いろいろな所に首を突っ込んでしまう傾向が出てしまいます。

それに耐えられる器量が自分自身にあれば良いのですが、それも、わきまえる必要がありますね。

保証は、他人のための誓約です。そのために、自分の口で言葉を発して、言質をとられてしまうのです。それが、履行されれば良いのですが、そのお鉢が回ってくる(保証人の債務になる)ことも可能性が大きいのです。

「しまった」と感じたときに、自分の窮状を誰に助けてもらえるのでしょうか?

この箴言で示されている「隣人」は、複数います。一人は、保証人を依頼した人であり、もう一人は、助けを請いに行く「隣人」です。

これは、創造主である神【主】に助けてもらう他に方法はありません。

それは、メシアであるイエス・キリストです。「愛」を持って「義」を完成された唯一の存在です。

肉体を持って、全人類の罪を背負い、十字架に架かり、死に、葬られ、三日目に復活されました。

その光景は、人間の視点では、「あーやっぱり死ぬのか?自分自身さえ助けられないのか?」であったり、「十字架から降りたら信じてやる」といった傲慢な態度でした。

ところが、「義」を完成させるためには必要不可欠な「完全な義人の肉体的死(唯一の犠牲)」を完成させるためだったのです。

それが、三日で神殿を再建させるというメシアであるイエス・キリスト予告通り、復活して弟子たちに現れて、昇天しました。

この箴言は、お金の保証人というよりも深い意味があるのです。

それは、人間の傷んだ魂の保証です。それを最良の隣人として、メシアであるイエス・キリストが完成されたのです。

あらゆる破綻を経験していても、すべての重荷を引き受けてくださる【主】に助けを求めることが、人生最良の選択なのだと、私は考えています。

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Posted by dblacks