メンタルの持ち方について
自称「鋼のメンタル」というアピールを聞いたことがあります。
でも、その人は、「そうありたいという理想を語っていた」に過ぎませんでした。
でも、そんなことアピールせずとも、断られても平気、むしろ断られるのが当たり前というマインドで、訪問販売を続けていた人というに出会ったことがあります。
私が出会った中では、その人が「最強のメンタルの持ち主」だと考えています。
しかし、周囲を凌ぐ業績を上げているのですが、人との交流が難しい一面もありました。
相手の状況を考えずに「グイグイ」入り込んでいくタイプで、押し売りスレスレのクロージングをしていました。
躊躇していた人で、その商品を買ってみて良かったと思える人は「良かった」でしょうけれど、結構な人が引き気味の対応だったように感じました。
熱心にオススメするという情熱溢れる姿に学ぶところは多かったのです。
しかし、その人にはできても、再現できるかと言えば「?」な要素が多かったですね。
「鋼のメンタル」だけでは、良好な人間関係を築けないという教訓でした。
メンタルと自分のあり方と考えてみます。
どのような状態であっても、例え四面楚歌であっても、「自分は自分」です。
決して、頑固一徹というイメージではなく、「存在としての話」です。
周囲から、プレッシャーがかかっても、存在は変わりません。
でも、マインドは変わりますね。 プレッシャーに弱い人なら、ドキドキしてしまいます。
こんな時に、「何があっても私は私、例え孤立無援に感じても私は私」と心底から思えるかどうかです。
本来なら、そのようなマインドを「鋼」と呼んでも良いのかも知れません。
しかし、その状態は、「柳の枝が風に吹かれるようにしなやかなイメージ」ですから、鋼とはかけ離れています。
そこの所が、考えどころだと思うのです。
鋼のように硬いモノは丈夫だという一面があるのですが、もろさもあるのです。
西洋のヨロイカブトは、金属製ですが、それ同士が戦えば、勝者もいれば、敗者もいます。どこかに弱点があり、絶対的に大丈夫とは言えないのです。
ガチガチにならずに、「しなやかな鋼のメンタル」を磨いていきたいと考えています。
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