二重基準は、偽りの計り 箴言11:1
『1 欺きの秤は【主】に忌み嫌われ、正しい重りは主に喜ばれる。 箴言11:1新改訳2017』
「欺きの秤」は、いつの時代にも人気があります。
売買の仲介者には、スプレッドが決められていて、差益が手数料として残るシステムになっています。それでも、変動相場のアイテムは、必ずしも儲かる訳では無いので、格差ができてしまうのです。
度量衡は、国際規格に基づいた定期検査があり、商取引をする為には、それをクリアする必要があります。
闇市などは、混乱期には、公然と姿を現し、「売り枡」「買い枡」などと、違う大きさのモノが用意されていたり、それがない場合には、買うときには盛り上げ、売るときには剥(へつ)るというセコいことをしたりするらしいです。
これらは、ズバリ二重基準の象徴とも言えるのではないでしょうか?
自分の事を考えてみると、身につまされる箴言です。
自分が美味しいお菓子を切り分けるときに、ナカナカ等分に切れない理由がこのあたりに潜んでいないかを探られるような気がするからです。
「【主】に忌み嫌われ」る行為は、回避したいですね。
物理的な度量衡だけではなく、考え方においても二重基準はあるのではないでしょうか?
それは、ダブルスタンダードとも言われますね。あの人は「ダブスタ」だからと指摘されたりします。
多くの場合、無意識にしていることが多いと想像しますが、その根元には、「自分は特別」という意識が横たわっていませんか?
人間は、他人には厳しく、自分には大甘なのです。
それが、逆転するとセルフネグレクト状態になってしまうのです。
「正しい重り」に生き、「主に喜ばれる」ためには、裁判官になる必要はありません。
「自分は何でもOK」という状態に陥らないように自戒することです。
また、他人に対する眼差しを暖かく暖色系にするチャレンジをする事です。
何かに気づいたら、「できない」ことを受容し、共有することです。
客観性を持つことで、感情的な対立からは距離をとることができます。
もちろん、他にも方法はあると思いますから、それぞれの工夫で、「主に喜ばれる」方法が見つかると良いですね。
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