律法について

エデンの園での唯一の禁止事項は「善悪を知るの樹の果実を食べてはいけない」でした。

その唯一の禁止事項を犯した人間は、さらに、アウトロー路線を突っ走って行きます。

よく言えば、冒険心の塊なのかも知れませんね。

ただ、創造主である神の保護を受けないで、「自ら天に到達する」とか、「創造主である神の上に自分を置きたい」などの強い欲望の感化を受けていたのでしょうね。

「ノアの時の洪水」や「バベルの塔」で、創造主である神が直接介入する必要が出てきたのですね。

「ノアの洪水」では、人間はノアと三人の息子とその妻達の合計8人に絞られたのです。他の人たちは、「ノアのはこぶね」に招待されたのですが、乗船しなかったのでその結果死んだのです。

バベルの塔」では、それまで、人間はヘブル語を共通言語として話していたようです。言語が同じだと、悪巧みも与しやすいので、どんどん自分たちの方法で天を目指したのですね。しかし、創造主である神が介入して、言語を多様化したので、バベルの塔の工事が頓挫することになったのですね。近い将来に、このバベルの塔が建設された地域で、世界統一政府が誕生するとも示唆されています。

しかし、この後の族長時代には、周囲から慕われていたヨブのような人もいたりして、全員が全員ワルだったのではなかったのでしょうね。

現代でも、ワルとちょい悪とまじめ風とまじめなど、様々な人間がいますね。

最近では、開き直るワルが権力を私物化していて困っている国民もいますね。

律法の原型は、イスラエル民族が「出エジプト」の後に、創造主である神から授与された「十戒」ですね。そして、生活上の規定が民数記略や申命記に記されています。

守らなければ罰という恐怖の面が強調されますが、あくまでもより安全に生活するために気をつけることと捉えないと、のびのびとは生きられませんね。

現代でも、より健全に自己愛を発揮するには、「ダメと言われているからしない」というよりは「自分の健康のためにしない」などと肯定的に考えた方が良いのではないでしょうか?

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Posted by dblacks