助けてくれる真意 エピクロス
『われわれを助けてくれるものは、友人の援助そのものというよりは、友人の援助があるという確信である。 エピクロス』
「大変だ」「助けて」が口グセになっている人がいるようです。
見回してみたら、一人や二人思いつくはずです。
でも、常習者はクセになっていますから、対応を考える必要もありますね。
このフレーズは、自分の心の支えに関する言及だと捉えています。
「友人の援助があるという確信」という部分には、スゴい信頼と勇気を感じます。
人生の中に、窮地に陥ることは、そうそう無いとは思います。
でも、その時に、誰がどの様な態度をとったとか、どの様に対応したという事は後々までも、心象として残ります。
そんな時に、一番うれしいのは「大丈夫か?」という心のこもったアプローチのようなイメージがあります。
それは、目先の資金的な援助をしてもらったところで、後々に解消される課題ではないからです。
自分なりのサイクルを生み出している最中に、余計な介入は控えた方が、長い目で見れば、かえって本当の助けになっていることもあります。
言葉だけで、心も実質も伴っていないなどと感じる関係の知り合いもいるかも知れませんが、ピンチの時に、変わらずそばにいる関係性こそ、その実態を表しているのでは無いでしょうか?
安易に考えれば、友情がお金の価値で如何程かを図りたくなる衝動も出てくるのかも知れませんが、それは、お金を見ている価値観なのでしょうね。
しかし、友情というのは、その様なモノではないと考えたいです。
もちろん、それなりのリターンを用意できるのであれば、投資を募るのもアリだとは思いますが、それは、友情とは切り離して考える方が良いように思います。
自分がその友人のことを考えているように、友人も考えてくれているという両想いの実感が伴った関係性は非常にすばらしいモノだと考えます。
そこには、お金が入り込む余地などないはずです。
お金を貸し借りすると、人間関係が壊れると言う話は、良く聞きます。
むしろ、貸し借りを断った方が、その関係を維持できるようです。
エピクロス(Επίκουρος、Epikouros、紀元前341年 – 紀元前270年)は、快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。エピクロス派の始祖である。
現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した。後世、エピキュリアン=快楽主義者という意味に転化してしまうが、エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ「苦」と考えた。
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