知っていても理解できていないというワナ

「あー知ってる」と思っても、「名前だけ知ってる」みたいなことありませんか?

地域活動で、草刈りは欠かせません。

でも、草払い機を知っているかと問われたら、多くの人が「知っている」と答えることでしょう。

しかし、どのように使うのか?と問われたら、答えられる人は少なくなるのではないでしょうか?

さらに、実際の作業の体験がある人?と絞り込まれたら、もっと少なくなります。

その上、注意するべき事やメンテナンスについてなら、極少数になります。

その物を知っているというだけでなく、その物について何を知っているかの奥深さがありますよね。

機械類でなくても、自然界の法則についても、言えることです。

学校で習うことや世間で常識とされていることでも、本当に正解なのかは分からないことがあります。

天体が何らかのバランスで保たれているのだろうと想像することはできますが、それを確かめる方法を私は知りません。

「宇宙空間の謎」は、アポロ計画の頃からくすぶっていました。今なお、NASAの映像で火星の映像にリスがいたとか、不思議な現象の報告もあります。

このような中で、何が正解なのかを判断するのは危険なのかなと感じます。

それほど遠くない昔に、天動説と地動説の論議がありました。

これを題材にしたマンガ「チ。」を借りて読んだことがあります。

それは、理不尽にも多くの人の生き方を変えるほどの大事件だったようです。

中途半端な情報だけで、人を断罪しないように気を付けたいですね。

その為には、自分が、それの何を知っているのかを自覚する必要性を感じます。

自分が、全部知っている、私は詳しいのだという発想には、要注意です。

どれだけ、詳しく知っていると思う分野でも、自分の理解が及んでいないことを認める謙虚さが大切だと肝に銘じておきたいですね。

自分のことも、他人の方が知っている事が多いかも知れませんよね。

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Posted by dblacks