誰かを憎むことは? ヘルマン・ヘッセ

『ある人間を憎むとすると 、そのときのわたしたちは、自分自身の中に巣くっている何かを、その人間の像の中で憎んでいるわけだ。自分自身の中にないものなんか、わたしたちを興奮させないもの。 ヘルマン・ヘッセ『デミアン』(新潮社)』

人間関係は「映し鏡」です。

別人格の相手を見ながら、自分自身の内面から出てくるモノを見ているのです。

と言うよりも、自分の視点が繋がっている心にある見方しかできないのが人間なのかも知れませんね。

「心にあるモノが出てくる」というのが人間です。

内面に無いものは、出てこないという事ですね。

心理的には、感情転移と言います。

自分の中にある感情と、相手から見える(感じる)要素が反応するのです。

これには、陰性の感情転移と陽性の感情転移に大別されます。

自分がネガティブに感じているのが陰性で、ポジティブに感じている要素が陽性です。

でも、両方ともに自分の内面の影響があります。

人間は、人生の大半を鏡の中の自分と格闘していると考えた方が現実に近いと私は考えています。

何かを目にするときに、自分の何かが反応し、揺さぶられたり、興奮させられたりするのです。

人間の課題は、動かされている自分を客観視する視点を大切にすることです。

「メタ認知」と言う言葉があります。

自分の状態を「今、自分はこう考えている」という認識を持つことが大切です。

また、かき乱される自分を落ち着かせるのは、自己受容が一番だと考えています。

「自分は今、○○の前でかき乱されている」という状態をありのまま受け入れるのです。

タッピングをしてもよいでしょう、オキシトシンの発生を促せば、落ち着きも早くなることでしょう。

人間は、「穏やかな湖」のようであり、その中に、「活火山のような激しさ」を内包しています。

活火山が大噴火してからは、手のつけようがありません。

少しずつ圧力を逃がしてしていくのも、より良い人生のための知恵の一つなのだと考えております。

『デミアン-エーミール・シンクレールの少年時代の物語』(Demian: Die Geschichte von Emil Sinclairs Jugend)とは、1919年に発表されたヘルマン・ヘッセの教養小説である。この作品は当初「エーミール・シンクレール」という名で刊行されていた。しかし、1920年半ばにOtto FlakeとEduard Korrodiが作者はヘッセであることを証明する論文を発表し、1920年7月にヘッセは『Vivos voco』誌上で真実であることを認め、以後「ヘルマン・ヘッセ」の名で公刊されている。1960年にはプロローグが追加された。

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Posted by dblacks