主体性とフォロー力(りょく)
自分が主役でなければ、舞台に立ちたくないという気持ちがあります。
幼稚園の演劇では、桃太郎が5人いたりするようです。これは、園児だけではなく、保護者への配慮も含めた結果、このようになるようです。
主役は一人だけ、最後はジャンケンかくじ引きなどという昭和っぽい決め方は、今は通用しないのでしょうか?
順位をつけない運動会もあるようです。
優劣や性別の差はNGとされる傾向もあるようです。
不思議な時代ですよね。
その様な時代に生きている浦島太郎みたいな自分かも知れません。
人間は、自分自身の人生を生きていますから、その範囲においては、自分が主役です。
でも、それぞれが主役を生きている世の中でも、時には、お互い助けたり、助けられたりという局面が出てきます。
それは、自然な成り行きでもあります。
その様な時に、他人の人生の主役になりたがれば、トラブルになりかねません。
また、それができないからといって、相手を亡き者にしてしまえば、犯罪者になってしまいます。
物理的に殺人をしなくても、心で殺してしまうこともあるかも知れませんね。
脇役、斬られ役という時代劇の俳優がいました。
その人は、斬られるシーンで、短時間の間で、いかに印象に残るかの工夫をしていたと聞きます。
主役を立てて、脇役として浮かび上がる作戦です。それを積み重ね、ギネスに載るほどの偉業を成し遂げたのです。
彼の人生は、彼が主役でしたが、他人から見える人生では、脇役として、主役を立てていたのです。
自分自身の人生でも、自分を下げるのではなく、相手を引き立てるためのアプローチができないかを考えていくとより豊かな人生へとバージョンアップできるような気がしています。
「フォロー力(りょく)」
さりげなく相手を支える柔軟なサポートができるマインドだと考えています。
「自分が、自分が」という「若さ溢れるアプローチ」も、時には必要かも知れません。
しかし、落ち着いたしっとりとした潤いがある人生には、自己意思を決定するチカラとさりげなく誰かをフォローするチカラの組み合わせが、より良い人生に導いてくれそうな気がしています。
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