真の勇気について セルバンテス
『真の勇気というものは、極端な臆病と向うみずの中間にいる。 セルバンテス『ドン・キホーテ』(岩波書店)』
「勇気」と言う言葉を聞くと、ダビデとゴリアテ(1サムエル17章)をイメージします。
その時、ダビデは、羊飼いの少年で、戦地にいる兄たちに差し入れを持っていくお使いの立場でした。でも、ペリシテのゴリアテという巨人を相手に、誰も挑んで行かない様子を見て、少年ダビデは、【主】の御名のために立ち上がる決意をしたのです。
彼の勇気は純粋で、ゴリアテが【主】に対して、挑んでいることに、正義の怒りの炎を燃やしたからでした。
その「勇気」は、サウル王も動かし、「自らの鎧を貸してあげる」と言い出すほどでした。
しかし、【主】のパワーがみなぎる少年ダビデは、自らの得意技「小石投げ器」で巨人に挑み、一発で眉間を仕留めたのです。
冒頭のフレーズは、「向うみず」という言葉が使われていますが、この少年ダビデの行動は、周囲の王や兵士たちからは、向こう見ずと思われていたことでしょう。
王と兵士たちは、「極端な臆病」に取り憑かれていたのです。
イスラエルには、創造主である神【主】がついていることさえ忘れていたのです。
でも、少年ダビデは、勇気の源に対する純粋な信仰を持ち、正しい選択をした結果、勝利を得たということなのです。
ドン・キホーテは、人間の願望をユニークに描写してある書物です。
人間は、結構、向こう見ずに、自分の能力を過大評価し、優先順位もつけずに、勢いだけで行動するものです。
「真の勇気」を問うのは、そのような浮き足だった心理状態から、正気を取り戻させる効果があると思います。
また、人間は、自分のものさしを世界の正義化のように振る舞ってしまう弱さがあります。
それに対する警鐘でもありましょう。
無謀ではなく、「真の勇気」を意識しておきたいと考えています。
『ドン・キホーテ』(スペイン語: Don Quijote、Don Quixote[1])は、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説。 騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士(アロンソ・キハーノ)が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」[2]と名乗って冒険の旅に出かける物語である。1605年に出版された前編と、1615年に出版された後編がある。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません