その契約を受け入れるだけで無罪と認定していただける
それは、ガウンを着るのと似ています。キリストを着るのです。
英語の単語を覚える赤いシートをご存じないでしょうか?赤い色の透明シートをあてると赤い文字がみえなくなるので、単語を覚えながら確認ができるあれです。
そのように、一度キリストを着ると、重荷である「罪」は裁く側からは見えなくなります。
しかし、自覚が残る肉体が、繰り返し思い出し自分を苦しめ続けるのです。無罪とされた事を忘れてしまうのが人なのですね。
そして、完全ではない人間は、繰り返し過ちを繰り返す現実があるので、さらに苦しむのです。
完全でありたい良心を持てるが故の苦しみかもしれません。
それでも、完全ではない事実を受容しませんか?
そこから、平安がはじまるのです。
(C)DaviBlackstone2012
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