生きる意味
「生きる意味は何ですか?」という問いかけを投げかけられて、答えが浮かばず「ドキッ」とした人も多いのではないでしょうか?
これほど「霧に包まれた疑問」あるでしょうか?の部類のテーマですよね。
「そんなこと考えた事なんてない」という人も多いでしょうし、「それを味わうために生きている」とか「生命を授かったのだから生きているのは当然」といった返答をする人もいることでしょう。
でも、実際は「わからない」と返答しなけりゃどうしようもないのかなと考えてしまうのです。
ある方とのやりとりの一部を記してみます。
うつ傾向があった男性ですが、「体調が芳しくないし、私なんか生きてていいのだろうか?」と繰り返し繰り返し話す時がありました。その気持ちを受け止めようと何度も何度もエコーしながら耳を傾けていました。
その真意は「生きている意味が見いだせないので、自分のよりよい生き方が見つからないのであれば生きていていいのだろうか?何も解決策が見つからないので死ぬしかないのではないか?」だったようです。
私の理解では、彼の中に「希死念慮」が急速に膨らんでいるのでどうしたものか?できれば思考の転進が出来ないモノだろうか、などと考える日々でした。
もちろん、説得的対応は結果を得るのは非常に難しいという事です。
人は、自分で納得出来たモノのみ信じ、心に受け入れるからです。
どのような対応も価値観の提示でしかないというのが現実なのですね。
「生きる意味」は、「自分や周囲に、あらゆる価値観の提示をし続けるため」も一つあるかもしれないと考えています。
# 生きる意味
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