祈りは信頼である
祈りたい気持ちになるときがあります。
困難に直面したから?
自分の願いを聞き届けてもらうため?
確かに、そこが入り口になると思います。
一方、願っていたことが叶ったとか、思わぬ祝福が降ってきた渡感じたとか。
子どもが誕生したとか、
感謝をしなくては、気持ちが収まらないような経験もあることでしょう。
でも、その背景には、祈りを捧げる相手(私の場合は創造主である主=唯一の神)に対する信頼があってこそ成り立つことだと考えています。
神の対する信頼が土台にあって、それにいろいろなモノがついてくるイメージですね。
「まず、神の国と神の義を求めよ」
から始まるということでしょう。
もしそれがなくて、一時的な繁栄があったなら、いずれしぼむコトになるかもしれません。
別の表現をするなら、経済的にもし萎んだとしても、土台がなければ何も残らず、ただたえられなくなるのではないでしょうか?
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