宗教は金がかかる場合も 信仰は無代価
「心のスキマおうめします」なんてフレーズがありましたね。
喪黒福造が登場したのは、『笑ゥせぇるすまん』は、藤子不二雄Ⓐによる日本のブラックユーモア漫画作品。
人は、心の空間をユトリととらえずに、スキマだから埋めなきゃいけないと考えるのでしょうか?だとしたら、喪黒福造さんは大繁盛(商売ではないみたいですが)ですね。
言い換えれば、充足感を得るための何かを人は求めていると言うことでしょうね。
札やツボからニーズを探っていくと宗教的な要素にたどり着き、その実は、ずばりお金がかかってしまうことになります。
それと対極にあるのが、信仰あるいは信念です。これは、基本的に無代価です。自分が確信を持ったことを信じるだけですからね。(そこにたどり着くコストは必要でしょうけど)
でも、この二つの差は非常に大きいのではないでしょうか?
目の前の金が増減するだけではなく、そのお金の流れを変える事ができる可能性があるからです。
お金で、物事を解決しようとしても限界があります。そんな時には、優先順位を考え直すことも大切なことですよね。
中身が充実していないと空しさがつのるだけですから。
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