イメージができないことの危うさ 想像力の欠如がトラブルの引き金に
「想像力の欠如」という言葉をしばしば耳にします。
また、「想定外」という言葉も一時期よく耳にしました。
人間の想像や想定は、あまり広い範囲ではないように感じます。
その中でも、自分の経験や知識を動員して、できる限りイメージする必要性を感じています。
それは、「標準世帯の母親の役割」と言えば、イメージしやすいかも知れません。
「今日は、何を食べさせようか?」とか「長男がいつもと違い調子が悪そうだ」などと、様子を観察しながら、対策を考えていくということですね。
もし、営業の仕事なら、顧客のニーズを探りながら、適切なアイテムをオススメし、お客様も満足、自分も利益を得て満足できるイメージですね。
このためには、想定や想像力が非常に大切です。
でも、最近増えているのが、「想像ができない人」がかなりいるようです。
「えっこんなことも??」
という流れが実際にありました。
人生を図太く生きるために、他人の目を気にしすぎないことは「鈍感力」としては重要なのかも知れませんが、全く気づけない人がいるのは残念だし、周囲が困ることもあります。
標準世帯は、夫婦と子どもが2人の4人を想定していますが、昭和の時代は、大家族で8人や10人という同居も多くありました。
今の時代は、非常に少ない世帯で生活し、生活もすれ違う傾向が強いですから、お互いに干渉しない、されない状態なのでしょうか?
大家族の中では、誰かが誰かの手伝いをしながら、「誰々はこのようなお茶が好きなのか?」とか、「怒る、叱る、怒鳴る」などもあり、今ならあまり良くない状況もありましたが、他の人が何をどのように求めているのかを身をもって知る体験でもありました。
これが欠如している現在は、親世代も、人との付き合い方がわからない状態なのかも知れませんね。
何をどうすれば良いのかもイメージが難しいですが、自分が気づいたことや、気になったことを身近な人にソフトに伝えていきたいと考えています。
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