言葉のウラ側の難しさ すべてはバベル(乱れ)から
何カ国語も操れる人をうらやましく思うことがあります。実際に現地に住んで言語を習得された方の使う言葉には文化的背景の理解もあるように感じています。
言語と文化的背景は、同じ言語とされても、地域によってニュアンスなどが違うこともあるようで、難解な領域だという認識です。
人間は、多くのコミュニケーションを言語に頼っています。しかし、シックリするやり取りがかなりあるように感じますね。
言葉を発する当人が何を伝えたいかに意識を向けてお話を聴こうとするのですが、その背景というか、ウラ側というかを把握できていないと、腑に落ちないコトもありますね。
ですから、リピートをしてみたり、キーワードの明確化をしてみたりして、核心の迫ろうと努力は惜しむつもりはないのですが、及ばないこともあります。
やがて、今の地球の歴史が幕を閉じ、メシア的王国になると、ヘブル語が共通言語になると言われています。
そもそも、バベルの塔事件以前は、ヘブル語のみだったそうですので、そこに回帰するという事なのですね。
バベルとは乱れという意味だそうですから、今日に至るまでのこの世の中の混乱ぶりを見ると、言葉の混乱が平和を遠ざけていると言う風にも考えてしまいます。
今の時代でも、対話を通じて、平和を広げる努力をしている方々には、尊敬の念を抱きます。
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