値段と価値について オスカー・ワイルド
『あらゆる物の値段は知っているが、あらゆる物の価値を知らぬ人間が即ち皮肉屋である。オスカー・ワイルド「サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇」(新潮社)』
男色は、ソドムとゴモラの時代に盛んで、それによって、天罰が下ったという記事は聖書に記されています。
人間の意識や感覚が、辻褄が合わないことがあります。それは、周囲を苦しめ、その人自身を苦しめる結果になります。このフレーズを遺したオスカー・ワイルドも男色を咎められて収監された一人です。
これは、私の理解を超えた領域ですので、ワキに起きます。
彼のプライバシー(趣味・趣向)はともかく、私は、このフレーズが気になったのです。
「値段」と「価値」の対比に大切な要素を感じます。
私は、コスパを気にするタイプですので、特に惹かれるのかも知れません。
買い物をする時に、まずモノの価値を見ます。
その次に、値段を比較します。
必要な価値のモノで、できるだけ値段が低いモノを選びたい欲求に駆られます。節約家(ケチ)なのですね。
それには、勉強の期間がありました。
絶対の正解は無い話ですので、答え合わせは少し遅れてやってきます。
購入して間もなく壊れたりして、その価値を失ってしまうこともありました。
また、背伸びして、最高級グレードを購入したこともありました。
その経験が、選択の幅を少し広げてくれたのではないかと考えています。
自分のニーズに合わせると、おしゃれさよりも、機能を重視するようになりました。
モノによってですが、最高級グレードは、何らかの不要な要素を含んでいたり、高機能が故に、エネルギー効率が悪かったりすることもありました。
そのような経緯で、価値を見極める視点が大切だとの結論に至りました。
値段と価値を天秤に乗せて、検証していきたいと考えています。
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(英: Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 – 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。
耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。(中略)
ワイルドの墓碑はパリのペール・ラシェーズ墓地にある。ジェイコブ・エプスタイン(Jacob Epstein)が1912年に彫った。股間を隠さない全裸の男性像は、旧法を盾に、作者やコンスタンティン・ブランクーシらが抗議するまでは、受け入れられなかった[2]。
ワイルドの文業と生きざまは世界中に影響を及ぼし[3]、日本に限っても、森鷗外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎をはじめ、訳書をものした翻訳者たちが、ワイルドを意識した。
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