頼りにするのは?
『兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。(2コリント1:8-10新共同訳)』
最近は少し負荷がかかる作業をすると「もう死にそう」などと口にする人が多いそうです。明治や大正生まれの人よりも若い世代がすぐ口に出す傾向があるというのです。
パウロは、一般人には到底しないような経験を数多く味わいました。その中には、ここに記されているような、命の危険を伴うものもありました。
パウロでさえ「生きる希望」を失って死を覚悟するとは、どれ程の経験でしょうね。
でも、そんな時「大丈夫!」という声が聞こえたかのように、自分ではなく「死者を復活させてくださる神を頼りにする」ようにしたのですね。
まさに「神に希望をかけた」のですね。
いつの時代にも、迫害はあるのですね。
どのような時代でも、神に希望を持って生きていきたいですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません