心を出せる環境が持てると

幼く無邪気な頃は、自分が思ったことを洗いざらい表現します。そして、周囲もそれを微笑ましく受け止めます。

しかし、ある時期からできなくなります。ある時期というのは、本人の自意識や周囲の環境による個人差が大きいからです。

誕生間もない頃は、存在(being)を喜ばれ受け入れられている環境に居る人が多いから無邪気に振る舞えるのです。

それができなくなる変化は、周囲がdoingに期待しはじめる頃からなのですね。

また、本人も周囲の期待に添うことが目的化すると表現できることと本音の乖離が広がっていくのですね。

この乖離は、自分の本音を無意識の領域に押し込んでいるようにも考えています。意識をすれば、本人にとっては辛いですから、できるだけ意識しないように努力するからですね。

無意識の領域に押し込められた本音は、まるでマグマのようにエネルギーを秘めています。それが、あるきっかけで、噴き出す時が来るのですね。

それが、家庭内暴力であったり、通り魔的な大量殺人に繋がるケースもありますね。

「日常生活の中で心を出せる場所がない」というニーズがあります。すべて、さらけ出すというところまで行かなくても、少しずつでも、心の重荷を下ろせる場が必要なのです。

日常の利害関係から距離を置いて、安心して本音が出せる場所が求められているのですね。

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Posted by dblacks