人が用いる言語とプログラム言語

人間は、言語を活用できる能力を与えられています。

かつては、ヘブル語だけだったようですが、人間が自らのチカラで天に到達するというバベルの塔プロジェクト(創世記11章)が始まったときに、創造主である神は、多言語化をするという裁きを与えられ、それによって、バベルの塔プロジェクトは頓挫しました。

それは、天に到達するのは、人間には不可能であるコトを示すためであり、やがての時のために、あえて言語に乱れを起こさせたのです。

この言語は、実に不思議で、文法通りに用いている人は、極々少数派です。

さらに、仲間同士でしか分からないようなスラングや方言などが非常に多くあるのが現状です。

それでも、いつも一緒にいる間柄では、「あれ」とか「それ」で通じたり、非言語でも通じてしまうこともありますから、非常に不思議です。

一方、コンピューターの飛躍的な普及により、世界中の多くの人が、その恩恵に浴しています。

しかし、実情はデジタルコンテンツを見る人が大多数であって、コンテンツを制作したり、プログラムを開発したりする人は少数派です。

プログラム言語は、構文が違ったり、スペルミスがあると動きません。

動かないだけならまだマシです。よく似たコマンドを入れてしまうと、まったく制御不能な暴走状態に陥る懸念もありますから要注意です。

AIと言う分野が、注目を浴びている21世紀ですが、これも人間がつくりだしているもので、なかには作り手のユーモアで工夫されている一面もあり、微笑ましいのですが、完全なものではありません。

まだまだ、人間の曖昧な表現を理解して、連携ができる実用レベルに達している分野は少ないでしょうね。

人間同士のコミュニケーションが素晴らしいのは、言語を通じて、また、五感、第六感をフル活用したレベルにあるコトです。

これにも、大きな個人差があるのですが、少しでも、より良いコミュニケーションができれば幸福感も最大化されることでしょうね。

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Posted by dblacks