愛と信 ヴィクトル・ユーゴー

ヴィクトル・ユゴー,信じる,相手が主語

『愛することは、ほとんど信じることである。 ヴィクトル・ユーゴー』

「愛」を説明するのは難しいです。

日本語に翻訳する時には、「お大切」という言葉を選んだ翻訳者がいたようです。

それは、「相手を愛する」と言うことは「相手を大切にする」ことになり、状況をイメージし、受け入れやすい流れになるからです。

人間の愛には、さまざまなオマケも付いてきますから、一筋縄ではいきません。

ですから、ほとんどの人は、愛に振り回され翻弄されるのです。

『レ・ミゼラブル』を著したことでも知られる文豪のヴィクトル・ユーゴーは、上記のフレーズを紡ぎました。

「ほとんど信じる」というフレーズは、人間として、なんとなく浮かぶイメージのようにも感じます。

人間ですから、完全ではありませんので、「ほとんど」と書いてあるのはホッとする要素なのではないでしょうか?

オマケも付いていると書きましたが、それは愛と組み合わされることばに「愛欲」「愛憎」などもあります。

そうなると、自分の想いから外れると、怒りに火が付いてしまうこともあります。

不完全で未成熟な人間にとって「愛」という、真心の純粋な想いを発揮するのは非常にチャレンジングな事のように感じています。

私は、できるだけ、カドのない、ツノがない、まあるい愛を届けたいと考えています。