会見の幕屋の意味 出エジプト29:43
『わたしはその所でイスラエルの人々に会う。そこは、わたしの栄光によって聖別される。わたしは臨在の幕屋と祭壇を聖別し、またアロンとその子らをわたしに仕える祭司として聖別する。(出エジプト29:43-44新共同訳)』
どこで誰と合うかで、その人との関わりに影響が出ることもあるでしょう。
エデンの園で、人間は神と交わることを拒否する結果になってしまいました。
創造主である神は、その問題の解決に至る道筋(原福音・創世記3:15)をお示しになりました。
それは、やがて女の裔として、メシアであるイエス・キリストが登場して、サタンの頭を砕いて完全な勝利をするというコトでした。
その本体は、約2000年前に起きた十字架刑で、その聖書的な真意は、全人類の罪を一身に背負い、唯一無二の贖いの御業を
完成した出来事でした。
冒頭の箇所で記されているのは、その前段階であり、言わば影の出来事の準備だったのです。
そのステップとして、アブラハムを召命し、その子孫に対して、律法を授与して、幕屋を整えさせて、会見の幕屋(臨在の幕屋)として設定したのです。
人間は、そのままでは、創造主である神に近づくことはできませんから、その手順も示されました。
「聖別」と記されているのは、人間が神に近づけない要素(罪)をカバーするためでした。
この幕屋は、組み立て式テントで、荒野を約束の地へと移動していたイスラエルの民の中心に位置していました。つまり、イスラエルの民の中心に創造主である神が臨在してくださると言うのです。
出エジプトの時から、昼は雲の柱、夜は火の柱として、イスラエルの民を導いてきたのですが、もう一段、身近な存在として、臨在されるのです。
イスラエルの民を創造主である神を正しく礼拝する民として、交わり導く為に、この備えが必要だったのです。
祭司や大祭司の役割を認識して、わきまえのある礼拝を継続することによって、今までにない、より良好な関わりへと発展していけるという道筋だったのですね。
出エジプトのリーダーとしてモーセが立てられ、その兄のアロンが初代の大祭司として勤めることになるのです。
旅の途中は移動式の幕屋でしたが、ダビデ王が準備し、ソロモン王の時代に神殿として建てられることになりました。
これから先に、エルサレムに第3神殿が建つと予測されていますが、その役割は、ここで取り上げている幕屋とソロモン王の時代に建てられた神殿とは、本質的に違うものと言われています。
それは、メシアであるイエス・キリストが十字架の贖いを完成した時に、隔ての幕が上から下に裂かれており、当初の役割を終えているからです。
めぐみの時代に生かされている信仰者は、それぞれが「神の宮」とされていますから、居ながらにして共にいるインマヌエルを実感できるのですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません