本物の幕屋は天にある 黙示録21:3-4

『そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3-4新共同訳)』

天国の情景として引用する聖句です。

本当の天国は、新天新地という永遠の幸福の世界です。

これが、究極のインマヌエルです。その真意は、「創造主である神が人と共に居る」ということです。

肉体的生命に付き物の「死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」と記されています。

この聖句は、肉体的生命を卒業した方の葬儀で読み上げますね。遺された近親者は、寂しいですが、ご本人は肉体的生命の痛み苦しみから解放されたコトは事実なのです。

かつて、イスラエルの民は、出エジプトをして、シナイ山で律法を与えられ、幕屋建設に取り組みました。

大切な要素は、イスラエルの民が自発的に献品した原料で、創造主である神の知恵を受けた人たちが建設して、礼拝の場所が完成したのです。

しかし、「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、」と記されているように、その本体(原形)は天にある。

創造主である神の啓示を受けて地上に建設された幕屋は、レプリカ(複製)なのですね。

人間が、この地上の肉体的生命を卒業するときに、2つのタイプがあるようです。

これは、本人と創造主である神の間でしかわかりません。人間は、お互い外見しか見られないので、その人が、何を信じているのかを断定することはできないのですね。

創造主である神を信仰している人は、肉体的生命から解放されるときに、人間にはどうすることもできない「罪」を贖い主・メシアであるイエス・キリストが引き受けて下さるのです。

それは、贖い主イエス・キリストの十字架の贖いのときの遺言であり、信仰者の信仰告白によって永遠の生命保険の契約が成立しているからです。

一方、創造主である神との間に、永遠なる生命保険の契約がない人は、自分の「罪」引受先がない状態で、自分で永遠に背負わなければならないコトになります。

これが、永遠の差になるのですね。

肉体的生命に生かされている間に、創造主である神が備えて下さっている永遠なる生命保険の契約を自らの信仰によって成立させておくことをオススメいたします。

何も難しいコトはありません。福音の三要素を受け入れれば良いのです。

それが、ホンモノの天の幕屋に近づく唯一の方法なのですね。

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Posted by dblacks