家族の温もりを乱すコト 箴言11:29
『自分の家族にわざわいをもたらす者は、風を相続し、愚か者は、心に知恵のある者のしもべとなる。(箴言11:29新改訳2017)』
家族に問題を起こす人はいっさいを失い、奴隷に成り下がるかも知れない。と、読めば理解がしやすいでしょうか。
「風を相続し」と記してあるのは、何もつかめない、残らないというコトです。
厄介者だと自分で思い込む人や実際に、トラブルが絶えない人もいます。
昔なら、座敷牢に閉じ込めて、外に出さないでおくと判断したコトでしょう。
大きなお屋敷ならいざ知らず、今のコンパクトな住宅事情なら、到底隠し通せるものではありません。
これを読むと「放蕩息子」のストーリーが思い浮かびます。
弟息子が、父に前代未聞の生前相続を申し出て、莫大な財産をもって旅に出て、放蕩三昧、身代を使い果たします。すってんてんになって、オマケに、散財に群がった人たちは散り散りに離れ、知らん顔を決め込みます。豚小屋の豚のエサを羨ましいと思うまでに落ちぶれたことに気づき、父の所で、息子としてではなく、使用人として雇ってもらおうと思い立ち、実家に帰り着いたのです。父は、大喜びして弟息子を大歓迎しました。弟息子の決意とは正反対の結果になりました。これを一番面白くないと感じたのは兄息子でした。(ルカ15:11-32)
ここで、登場している弟息子は、「家族にわざわいをもたらす者」のようです。
そして、莫大な財産を相続しましたが、霧散してしまいました。まるで、札束をばらまくかのようです。それに、多くの人が群がったことでしょうね。
そして、父の所で息子としてではなく、使用人として雇ってもらおうと決意し、心を変えたのです。
放蕩息子のストーリーは、「悔い改めた者の救い」という流れがあるので、冒頭の聖句のもう一歩先に行っています。
でも、弟息子の心の旅は、「家族に問題を起こす人はいっさいを失い、奴隷に成り下がるかも知れない。」をたどっているのですね。
現実的に、大切な対応は、家族の中で誰かが「落ち着く」ことです。
そして、腹を括って、温もりを持って、しかも毅然と対応をするのです。
それらを経て、それぞれが取り憑かれている呪縛から、解放されていくのですね。
決して、容易い過程ではありませんが、どこかに道は備えられていると信じて、次の一歩を踏み出すエネルギーを確保して、あきらめずに歩を進めるのです。
気がつくと、きっと、今までとは別の景色が見えているコトでしょうね。
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