創造主である神による臨在の提供 出エジプト40:34-38

『そのとき、雲が会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。イスラエルの子らは、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで旅立たなかった。旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。(出エジプト40:34-38新改訳2017)』

モーセが幕屋の最終点検を行いました。

モーセは大変満足し、イスラエルの民を祝福しました。

幕屋は、「罪」の状態にいる人が、創造主である神に近づくための唯一の恵みの方法でした。

シナイ契約は、金の子牛事件で、白紙撤回されましたが、仕切り直して、創造主である神の側からめぐみによって提示され、ここに幕屋が完成し、そこにシャカイナグローリー(【主】の栄光)が戻ったのです。

目に見えるモノに何かを感じやすい人間にとっては、金の子牛事件は痛い教訓になりました。

それに対して、この幕屋全体が、「メシアを示す型」となっていました。

イスラエルの民は、昼は雲、夜は火に現れる創造主である神の臨在(シャカイナグローリー)を身近に感じて、ヒシヒシと安堵感を得たことでしょうね。

これ以降のイスラエルの民は、この創造主である神の臨在(シャカイナグローリー)との関わりの状態がどのようであるかで、浮き沈みを体験していくことになるのです。

彼らは、彼らの信仰態度によって、その後の状況がガラリと変わるという経験をすることになりました。

それは、後々の信仰者の教訓として、聖書にくり返し記されていることでもあります。

今ココを生きるためにも、先人の経験を教訓にして、創造主である神の愛を感じて歩みたいですね。

この実感を得るためのアプローチとして、創造主である神は、イスラエルの民が自発的に参加できるようにしていました。

それは、原材料として献げる人、糸に加工して献げる人などを、それぞれが可能な範囲で参加することでした。

それらが、組み合わされることによって完成に至るというステップは、共同体意識を強固にして、実感もより深くなることが期待できますね。

これは、ペンテコステ以降の信仰者の共同体(キリストの身体なる教会)をイメージできます。

共同体の参加者、それぞれに、得意なことがあり、互いに補い合って、成長をしていくということですね。

『キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。(エペソ4:16新改訳2017)』

それぞれの荒野を歩みつつ、その中心にシャカイナグローリーを感じられる状態が人間には必要なのですね。

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Posted by dblacks