天地創造の7日間(前半) 創世記1:3-13
『神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。神は仰せられた。「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」すると、そのようになった。地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。夕があり、朝があった。第三日。(創世記1:3-13新改訳2017)』
創世記1章3節からの出来事は、聖書的にはおよそ紀元前4000年とされています。これを記している2022年は、およそ6022年目という計算になります。
暦は歴史や文化によって様々ですが、今と同じ24時間制と考える方が合理的だと考えています。創世記1章14節で「日、月、年」という数え方が存在しているのが、その様に考える理由です。また、安息日の根拠となった「7日目に創造主が休まれた」により、一週間が7日となったのですね。
創造主である神(三位一体=父、子、聖霊)は、ことばによって天地を創造されました。
『初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。(ヨハネ1:1-3新改訳2017)』
『【主】のことばによって天は造られた。天の万象もすべて御口の息吹によって。(詩篇33:6新改訳2017)』
天地創造第一日目は、「光、あれ。」からはじまりました。これは、宣告(命令)で、それが成就して「光」が出現しました。この光は、太陽ではなく神の栄光(シャカイナグローリー)が見えるようにされたのです。
『「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。(第二コリント4:6新改訳2017)』
宣告(命令)をするという行為は、命令する対象に対して権威を持っていることを表しています。
そして、完成した「光」を「神は光を良しと」見られたのです。
ユダヤ暦では、1日のはじまりは日没です。「夕があり、朝があった。」と記されていることがベースになっています。
現代社会では、自分たちの生活に合わせて、それぞれが、別の時間軸を使用しています。朝が一日のはじまりであったり、一週間のはじまりが月曜日だったりします。
聖書とのギャップを感じるのは、生活習慣の違いが影響する部分ですね。
創造第二日目は、「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」でした。
「大空」とは、第一の天と呼ばれるもので、人間が息をしたり、鳥が飛べる範囲です。
地球を覆っていた塩水の淵とガス状の霧が分離され「大空」が現れました。
第二日目には「神は見て、良しととされた」が出てきません。
第三日目に「良しとされた」が二回出てくるので、2日目と3日目は続いていると考えられています。
第三日目は、塩水で覆われた地球に変化を加えました。
それは、乾いた地と水のあるところを区別しています。そして、乾いたところを地と名付け、水の集まったところを海と名付けたのです。
口語訳「地は青草と、種をもつ草と、」とあるこの行為は、直接的な創造ではなく間接的な創造です。
植物は、一般的な草の類と穀類、香草や野菜、果樹の木々の三種類ありました。
そして、植物界にも「種の垣根」が設定されました。
「種」について今の時代には、見分けが難しいものがありますが、創造主である神の基準があると考えています。
第一日目と第四日目「光に関する創造」、第二日目と第五日目「水に関する創造」、第三日目と第六日目「地上に関する創造」はそれぞれ関連しています。
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