避けて通れない試練
『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(1コリント10:13新共同訳)』
四面楚歌になり、「天の助け」が欲しい時が、人生の中には来ますね。
そのような中で、人によって対応が大きく差が出てくるようです。
特に、夫婦の間でも、夫は「この事業が失敗したら格好悪いし恥ずかしい」と考え夜も眠れない日が続いたり、一方、妻は「何とかなるから、クヨクヨ考えていても仕方がない」と夜はグッスリ眠っていたりくらいの差があるようです。
人間は、取り繕って生きている自然界の中では珍しい動物ですから、このようなことが起きるのかも知れませんね。
しかし、その人間に対して、創造主である神は、真実に、試練と共に「逃れる道をも備えて」いてくださると言うのです。
試練には、必ず、何らかの意味があり、それらは、試練とセットでしか体験できない得がたいアイテムなのでしょうね。
そのような時には、静まって神と祈りを通じて対話をし、試練の意味を問い、慰めを求め、気づきや知恵を得、癒やしを体験することができるのですね。
試練の役割は、「一人一人を神に向かわせる」ことが、第一の意味なのかも知れませんね。
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