天地創造の7日間(後半) 創世記1:14-2:4
『神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。夕があり、朝があった。第四日。
神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。神はそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。夕があり、朝があった。第五日。
神は仰せられた。「地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」すると、そのようになった。神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。」すると、そのようになった。神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
こうして天と地とその万象が完成した。
神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。
これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である【主】が、地と天を造られたときのこと。(創世記1:14-2:4新改訳2017)』
第一日目と第四日目「光に関する創造」、第二日目と第五日目「水に関する創造」、第三日目と第六日目「地上に関する創造」は、それぞれ関連しています。
第四日目は、太陽、月、星(天体)が創造されました。
ここで創造された光が、地球上の生物にとっては身近になり、第一日目に造られた「光(シャカイナグローリー)」に取って代わることになります。
これは、人間にとって生活リズムを整えるために、季節、日、年を示す基本的概念となりました。
また、天に光るものは「シルシ」として、航路を示したり、神の栄光を示したり、神とイスラエルの契約が永遠に続くことなどを示すものになっています。
第五日目は、海には海の生き物、空には鳥が創造されました。
それは、「種の壁」に従っていました。種に関しては、今日の区分でも曖昧な部分が多いように感じています。
創世記1:21に出てくる「海の巨獣(タニニム…単数形タニン…ヘブル語)」は、旧約聖書に14回出てきますが、日本語では、「海の巨獣」「蛇(出エジプト7章)」「竜(イザヤ27:1、51:9)」「わに(エズラ29:3)」と翻訳されています。
これは、異教の創造神話(バビロニア神話)を否定し区別する目的があるようです。明確に、創造主である神によって、すべてのものが被造されたことを示す目的があると考えられます。
この第五日目で、特筆すべきことは、祝福がなされていることです。
創造主である神が最初に祝福したことばが「生めよ、ふえよ。海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」でした。
第六日目は、動物が創造され、最後に人間が創造されました。
動物は、家畜、両生類・は虫類(はうもの、足がないか短いもの)、野の獣(家畜にならない動物)が、「種の壁」に従って創造されました。
第五日までは「○○あれ」と命令していましたが、人に対しては「われわれに似るように、……人を造ろう」と新しい言い回しになりました。「われわれ」とは、三位一体の創造主である神を表しています。また、最初の人間は「アダム」と認識していますが、ヘブル語では人のことを指す普通名詞が「アダム」なのです。
「神のかたち」は、外面的には、「ことばを用いる」「顔に表情がある」「恥を感じることができる(赤面)」「自然界を支配する能力がある」があげられます。
また、内面的には、「知性」「感情」「意志」「霊性(神を認識する能力)」があげられます。
被造されたときの人間は、罪を犯すことができる状態で、同時に、罪を犯さないこともできる状態でした。
これが、堕落以降には、罪を犯さないことができなくなってしまい、人間にとって最大の悩みの種となったのです。
また、男も女も同じ日に創造されました。
この第六日目の締めくくりは「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった」と記されています。
「非常に良かった」と書かれているのは第六日目だけで、創造主である神にとって「特別の日」だったことが感じられます。
第七日目は、被造物が完璧にできあがった創造主である神のわざの完成を告げ、「終了、休止」という意味合いで「休まれた」のです。
創造主である神が、この第七日目を他の日とは区別し「聖別」されました。
地球をカオス状態から、創造主である神に似せた人を創造し、地球上の生物世界を支配・管理する命令を与え、安息されました。
その流れの中に「動物世界の祝福(1:22)」「人の祝福(1:27,28)」「安息日の祝福(2:3)」を見ることができます。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません