どこまで耐えられるかを試されている 火の粉をどこまで振り払えるか?
人間の人生は、野生動物のように、命と隣り合わせというほどのギリギリではないにせよ、サバイバルゲームの様相を呈しています。
虐待やいじめなどに直面することがあり、それにどのように対処するかが、その後の歩みにも影響を与えることにもなります。
「試されている」一面に対して考えています。
それらは、忍耐力を養い、自分自身を鍛えたと思っていても、理不尽に感じる状況は、受け入れがたいことが多いですね。
一番、厄介だったのは、纏わり付かれることです。
多くの場合、いじめから距離を置くことで、回避できたのです。
でも、付き纏われるケースは、何らかの対応が必要でした。
引きこもり状態についての議論が今日もありますが、時には、亀が頭や手足を甲羅の中にしまって身を守るように、自分の身を守ることも必要だと感じたこともあります。
相手の目的がわかっていれば、要求に応えるか、拒否するかの選択肢があります。
でも、今で言うところの「ストーカー行為」に類することは、要求が分からない間は不気味ですね。
引いているだけで効果がないときには、キレてみたり、反撃を試みることもしてみたことがあります。
おとなしいだけだと、どんどん、行動がエスカレートしてくる傾向を感じたからです。
万能ではありませんが、警察の力を借りなければいけないこともありますね。
ある時には、やんわりと人質作戦を仕掛けられることもありました。
でも、相手の思うつぼにならないように、気力を振り絞って対峙しました。
随分、後になってから、ふと思ったのです。
相手の未成熟さに気づかなかった私が、未熟だったのだなあと。
傾聴も受容も限界があります。
それは、有限である人間の限界です。
どれだけ、バージョンアップしても、及ばないところがあると自己受容しました。
いまは、最初に関わるときに、免責事項的なことを説明するようにしています。
DVやいじめの渦に巻き込まれている人には、逃げ場、休場があるように願っています。
また、身近に頼れる誰かがいてくれることを切に願います。
決して、あなたの人生をあきらめないでほしい。
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