味わうということ 箴言20:17
『だまし取ったパンはうまい。しかし、後でその口は砂利でいっぱいになる。(箴言20:17新改訳2017)』
「砂をかむような味気ない」と歌った曲がありました。
砂をかんだ時を想像するだけで、嫌な記憶を呼び覚ます、何ともいえない状況ではないでしょうか?
後味の悪さについての絶妙な表現ですね。
「だまし取ったパン」とありますが、この部分は、単に食物というわけではなく、金品や人の手柄を横取りしていないかを探られます。
自分の言動を振り返ると、誰かのアイデアを横取りしたとか、自分だけの手柄を求めがちな部分を感じる人もいるでしょうね。
「私が」と主張したい人もいます。
もし、「私が」と迫ってきたら、自分に利害関係が無いなら、適当にやり過ごす(スルー)のが最良の策かも知れません。
しかし、自分の権利を侵害するような内容であれば、何かのアクションを取る必要も出てきます。
さて、後味の悪さを感じないために、「自分だけ」のために「我田引水」する所から距離を置くことです。
もちろん、自分の利益を守ることは必要ですが、主張できる根拠をもっておく必要はありますね。
信仰者であれば、創造主である神の視点で考えることができます。
アイデアも【主】から賜ったモノとの考え方です。
まず、【主】に主権があることを認めて委ね、「自分だけのためでなくてはダメ」という領域から解放されると言うことです。
これは、著作権などの権利を放棄することではありません。
まず、自分が他人から侵害されたと感じたことよりも先に、他人を侵害したことを思い起こす方が先決ですね。
相手に非があったとしても、極端に相手を貶めたり、自分だけが正しいかのような振る舞いをしていなかったか? を自問自答することも大切です。
人間が陥りがちな、自分だけが正しい(利己主義)という部分の検証です。
その結果を考えながら、自分の言動を適切に修正することができますね。
一方、他人から受けた侵害に関しては、いくつかの選択肢があります。
抗議をしたり、裁判で決着をつけるのも選択肢です。
また、「怒りを【主】に委ね沈黙」するという方法もあります。
後味の悪さをなくすだけでも、快適になりますから、後味が良くなれば、幸福感の味わいも大きく変化することでしょうね。
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