じぶんの道 相田みつを
『道はじぶんでつくる。道は自分でひらく人のつくったものはじぶんの道にはならない。 相田みつを』
「道(角川書店)」の中に出てくる作品です。
相田みつをさんは作品作りに妥協を許さないと聞いたことがあります。
一文字を書き続けること1000枚に及ぶ、ということもあるようです。
「にんげんだもの」という作品は、多くの人の共感を呼んでいますが、その作品に対して読者が抱くニュアンスにも温度差があることでしょうね。
相田みつをさんの妥協を許さない姿勢とは裏腹に、にんげんだから少々のことは勘弁してという理解の方向性が逆なのかな?と感じてしまう部分もあります。
実際の作品は、「つまずいたって いいじゃないか にんげんだもの」ですから、「にんげんだもの」だけ切り取って見ている人もいるのでしょうね。
全体を通じてみると、チャレンジした結果つまずいたという事なのですね。
そのように、理解すると、相田みつをさんの作品に矛盾がないことが分かるように感じます。
「道」といえば、高村光太郎さんも「道程」という詩を書いていらっしゃいます。「僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る…」ではじまる作品です。
人間は、同じような道を通っているようでも、実際は自分が進んだ道が、自分の道ということなのですね。
様々な職業がありますが、その中でも、職人仕事は、親方のしている仕事を見て、見よう見まねで習得する時代がありました。それは、今でも残されている貴重な文化です。
同じような作業はできても、身に付かなければ、その人の作品にはならないですね。
今は、料理のレシピが簡単に見られる時代になりました。同じような食材で、同じように調理しても、不思議な味になるというのも、自分の道になっていない成長過程と言うことになるのでしょうか。
伝統のある家系が代々受け継がれていくのは、それぞれの代での工夫と努力の積み重ねが実ってこそなのですから、何かを一時的に得たとしても、持て余して身動きがとれなくなるだけなのかも知れません。
また、自分の足で、自分の人生を切り開くように、自立を促されているフレーズでもあると思います。
真っ直ぐでなくても、自分が生きた証しが道として残るのですね。
相田 みつを(あいだ みつを、本名:相田 光男、雅号:貪不安(ドンフアン)[1]、1924年(大正13年)5月20日 – 1991年(平成3年)12月17日)は、日本の詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人[2]、いのちの詩人[3]とも称される。
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