幸福のありか アウレリウス
『幸福は、その人が真の仕事をするところに存在する(アウレリウス)』
幸福とはなにか?
それは、多種多様な価値観があり、人によって何が「幸福」とは言えないものです。しかし、自分の存在価値を実感するものさしとして、人間が誰しも探し求めているテーマだと思います。
このフレーズでは、そのありかを「真の仕事をするところ」と記しています。
そもそも、「真の仕事」とは何を意味しているのでしょうか?
私が感じるのは、単に収入の手段を得るための仕事には限定されないというニュアンスです。
職人的な仕事には、使命感ややりがいを色濃く表しているイメージもあります。他のビジネスでも、面白みや充実感を味わえる要素もあります。
でも、例え収入に結びつかなくても、誰かのために貢献しているとか、自分自身の充実感に繋がっているなどの活動や居場所は、それにも増して魅力的なものです。
その価値は、当人にとっては、色々なモノと比較できないほど、大きいものなのかも知れません。
自分にとっての「真の仕事」の存在が分かっている人こそ、幸福なのでしょうね。
幸福を探して、あらゆる所を探し回る人もいますが、現実的には、案外身近(そば)にあるのかも知れませんね。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(古典ラテン語:Marcus Aurelius Antoninus [notes 1]121年4月26日 – 180年3月17日[3])は、第16代ローマ皇帝である。五賢帝最後の皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌスとトラヤヌスの傍系血族でもある。
軍事よりも学問を好んだ皇帝という姿は、彼の著作である『自省録』への評価を通じて今日も維持されている。これは『国家』を執筆したプラトンの時代から学識者にとって理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされているからである。
自省録(法律文化社)
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