人間は魅力的か退屈か? オスカー・ワイルド
『人間を善悪で区分けするなど愚かなことだ。人間は魅力的か退屈かのどちらかである。 オスカー・ワイルド『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』(新潮社)』
シンプルな区分ですね。
「魅力的か」「退屈か」
一緒に過ごしたい相手を選ぶ基準は、「楽しいか」「楽しくないか」と似ています。
善悪のものさしで計ると、安全度は上がるのかも知れませんが、退屈の度合いも上がるのかも知れません。
人間の欲求は、刺激を求める所に、楽しさも、罠も潜んでいるのではないかと考えています。
その場の雰囲気をつくるのもその場にいる人です。
楽しく盛り上げるのも、辛気くさくするのも人なのですね。
エンタテインメントの街、ラスベガスで楽しく過ごすというイメージです。
楽しむためには、自分にできる限りの冒険をするというチャレンジも必要かも知れません。
その中で、合法とされているエンタテインメントを楽しむ前提ですから、そこで、変な正義感を振りかざしていても、雰囲気をぶっ壊す、壊し屋としての振る舞いだけが残ってしまう懸念があります。
まあ、ある程度の節度は必要でしょうけれどね。
「見た目が9割」というものさしに従えば、魅力的か退屈かという判断に近いかも知れません。
でも、実際に同行してみないと、相手の真意もニーズも汲み取れませんよね。
人間関係は、何を共有するかですから、様々な人間関係があると、人生に奥行きがでるのだという風にも私は考えています。
楽しい時間を過ごしたい、しんみり心の奥深いところを語り合いたい、何かの趣味を共有したいなど、ニーズに合わせてのおつき合いができれば最高ですね。
このフレーズは、人との出会いの入り口におけるアドバイスとして活用することにします。
人間の態度は、無意識のうちに表面化することもあれば、意識的に変化させて作っていることもありますからね。
お互いのニーズを探る事、それが、より良い人間関係への大切なステップなのだと考えています。
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(英: Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 – 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。
耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。
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