絶対的正義ではなく、正しい選択肢を選んだかどうか?
人間が抱えている課題に、創造主である神の前で、無罪とされる方法があります。
自分は間違っていないと主張することはできる訳ですが、それは、自分の思い込みに過ぎないのですね。
人間は、神に創造された被造物であるという立場で考えれば、アダムが最初の人間として造られ、その骨をとってエバが造られ、その二人から、今の地球人口があるのです。
エデンの園から追い出された事柄は、正にアダムとエバの罪によるモノです。
そして、それ以降の子孫たちは全員その罪の性質を引き継いでいるわけです。
人間の側として、唯一の希望は、
「…我、汝とおんなの間および汝の苗裔とおんなの苗裔の間に怨恨を置かん。彼は汝の頭を砕き汝は彼の踵を砕かん。(創世記3:15)」
に書かれています。
汝とは、かつて天使長ルシファから落とされたサタンのことで蛇に形容されることがあるのですね。
サタンの計画は、人間を祝福の園に住み続けられないようにして、すでに決まっている自分と同じ火の池に道連れにすることなのです。
しかし、「汝の頭を砕き」とありますから、彼の企みが創造主の計画をひっくり返すことはできないのです。
昔は、イスラエルの荒野で、マムシが出ると、サンダル履きの踵で、踏んづけたらしいのです。しかし、タイミングが悪いと、マムシも必死の抵抗を見せて、踵に噛みついたという出来事は日常的にあったようですね。
イエス・キリストの十字架により、すでに、サタンの頭は砕かれているのですが、掉尾の勇を見せているのが、今に至る状況なのでしょうね。
サタンの道連れにならないために大切なのは、一人一人が、福音の三要素を受け容れ正しい選択をしたか?にかかっているのですね。
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